思い出の品
こちらに来た当初は仮住まいで収納ケース2つ分だけ持って引っ越してきました。
ほとんど処分してこちらに来たけれど、アルバム、ビデオ、よく読んだ絵本はそのままにしていました。
持ってきても置き場所がないと思ったし、あちらの家の方が安全だと思ったからです。
次男が行くことにし、わたしも週末だけ行くつもりになっていましたが、入れるのは今日まででもう入れないそうです。
少しは運び出してくれたようですが、扉のある大きな本棚の中のアルバムは気が付かなかったようです。でももう一人で運び出すことは困難。
息子が行くことを伝えると拒絶されたようです。
今の姿をもう誰にも見られたくないそうです。
このままだと孤独死し発見が遅れることを次男は心配しています。
相当体調も悪く、病院にもかかっていないようです。
幸せだった家族の家が人手に渡ること、そこに置いてきた数々のものがゴミ扱いされることはとてもショックです。でもそれよりショックなのは生きることを諦めた父親の姿です。
子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でももうわたしに出来ることはありません。
敢えてギリギリで連絡してきたのだろうと息子は察知しました。
私たちが行くと聞いたとき、やっぱりそうなるか・・・
言わなきゃ良かったと言われたそうです。
この状況をこちらに住んでいる元義姉に伝えました。
(連絡先も削除していたので息子がいとこ(元甥っ子)に聞いてくれました)
お義姉さんに事情を話すと、7月に法事で会った時、ガリガリに痩せていて、それ以降月に1度電話をしているそうです。
もう何年も働いてないので収入もなく、貯金もない人なのでどうやって生活しているのか、考えても分かりません。
車で30分くらいのところに住む、親戚のおじさんに時々様子を見に行って
もらうようにすると言ってくれました。
わたしが話をしたと聞くと絶対に拒絶すると思うので、言わないで欲しいと頼みました。
もともとその親戚の人は空き家になっていた元旦那の実家を定期的に巡回して下さっていたので、違和感がないのです。
ただ80歳を超えているので、あまり無理は出来ないと思います。
生きる希望を失くした人には何も届きません。
病気を治すとか、働き先を探すとか・・・遠い遠い話です。
こうして家がある人はそこで息絶え、家がない人はホームレスになるより方法がないのでしょうか。自分から手を上げなければ生活保護を受けることも出来ません。
今日は仕事に行き、普通に仕事をしました。
仕事は本当にありがたいです。
誰かに必要とされている場所があることは救われます。
何事もなかったように仕事をしていますが、これまでもどれだけそんな日を過ごしたことでしょう。
いつかまた乗り越えられる時が来ます。
これまでだってずっとそうだったのだから。
そして思うのです。今世は諦めて来世に期待しようと。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。