悲しみにくれる日本
三浦春馬さんが亡くなって、日本中が悲しみにくれているような気がします。
FBや他のブログなどでも、友人、知人が「なぜ?」と書いている。
私たち親世代は息子と重ね、ただただ悲しい。
他に方法がなかったの?
助けてと言えなかったの?
逃げて良かった
と・・・書き込んでいるのを見かけます。
他に方法が思いつかなかったんだよ。
精神的なことってなかなか助けてって言えない。
逃げればいい?
無責任とか叩くでしょ?
考えて考えて、ふと魔がさした。
その瞬間、気持ちが楽になったかも知れない。
だとしたら、どうだろう。
生きていく事は苦しい。
それでもみんな何とか少しの希望を見つけて生きている。
夜明け前にもういいかなと思う事がわたしにもよくあった。今もある。不安に押しつぶされそうになり、孤独を感じる。
こんな時、絶対助けてなんて言えない。
話を聞いてくれる人がいたら、違うかも知れないけど、励まして欲しくない。
分かったように言わないで欲しい。
信頼できる人に黙ってそばにいて欲しい。
春馬くんは夜明け前じゃなかったね。
死を選んだと言うより、悩む毎日から解放されたかったのかも知れない。本人にしか分からないけど。
だれにでも可能性はある。
そして事実はひとつ。
もう、誰もあなたに触れ、あなたと言葉を交わす事が永遠に出来ない。
その現実に打ちのめされてしまう。
昨日まで応えてくれていた人と永遠の別れをする。
想像を絶する悲しみです。
だから、生きている者同士、お互いの命を守るため、自分の価値観で誰をも傷つけないでほしい。
叩かないで欲しい。
優しくして欲しい。
明日、目の前にいる人と会えなくなるとしたら、やっぱり目の前の人を大切にしたい。
春馬くんはたくさんのことを教えてくれた。
わたしも大切な人を自死で亡くしています。
そしてわたしの大切な人たちも息子さんや旦那さん、お母さん、兄弟を自死で亡くしています。
亡くなった方を思い出す時、みんな不思議と笑顔です。
亡くなった方はきっと自分を思い出す時、元気だった姿を思い出して欲しいのかなと思ってしまいます。
いま、わたしにできる事は自分も周りの人も大切にすること。
魂の綺麗な人を大切にしよう。
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